『世界が終わるその前に』

人生1度きりだからこそ、自分の思うままに自分のやりたいことをやる。そのための物語の足跡。後悔をしたくはないけれど、後悔は人を成長させてくれるものだから。後悔をするにしても後悔した経験を伝える、後悔を一緒に乗り越えれるそんな人に僕はなりたいから足跡を残す

「ヤマトの心」

みなさん

ちゃお〜

2019年9月はヒイロが社会人になってから今まで一番アクティブにそして色々な流れに乗れた月でした!ほとんど北海道にいない〜

9月後半にはまた四国の高知に戻りお遍路とご縁紡ぎ大学高知竜馬校の第1講に参加する機会になったのですから〜

10月6日(日)毎月楽しみにしているご縁紡ぎ大学北海道校の第5校がありました。

赤塚高仁氏を講師にお招きして「ヤマトの心」について学ぶ機会でした

 

そしてそれから月日が流れ今は2020年1月!書いている途中だったためあげれていなかったので再編集中です〜

さらに月日が今は2020年3月15日。目が覚めて眠れないから続きを書こうと思います

3月20日また、北海道の札幌で赤塚先生のお話を聴く機会を機会がやってきます

 

2019年9月の紡ぎでの学び、そして赤塚先生と12月1日の伊勢神宮の正式参拝、12月5日にご縁をいただいて北海道で講演会を手伝うことになったことも含めて書いていきたいなと思います。

 

もともとは

2019年の3月にお話を聞いたことがありました

僕の行きつけで大好きなお店の札幌北34条の南北線地下鉄駅を降りて5分ぐらいの場所にある梅酒BAR SOUL COMPANYで常連さんから誘われて参加したのがきっかけでした

その時は半日仕事の後、午後からの赤塚先生の講演会を遅刻をする形で聴いたのを覚えています

内容をよく知らず二つ返事でいきますと行って話を聴いたら、すごくじーんと来て心が熱くなって先人の人たちが今の自分たちに残したものに対しての感謝と想いがずっしりと伝わって来た時間でした

そんな経験があったから10月講義の時にどんな話がきけるのかとワクワクでした

講義は講演と違って時間がたっぷりあるからです!

 

 

 

 

それでは講師の赤塚高仁氏の紹介から

人生が変わる聖書漫談師
ヤマト・ユダヤ友好協会会長1959三重県津市生まれ、明治大学政治経済学部卒業。
日本の宇宙開発の父、ロケット博士として世界に名高い、故・糸川英夫博士の一番の思想継承者。
日本とイスラエルとの交流に人生を捧げた糸川博士の遺志を継ぎ『ヤマト・ユダヤ友好協会』の会長を務める。
イスラエル30年かけて20回以上訪れ、鍵山秀三郎氏、舩井勝仁氏、本田健氏、中村文昭氏をはじめ、800人を超える人々に人間、イエスを伝える導き手として活躍している。
「民族の歴史を失った民族は、必ず滅びる」というユダヤの格言や、荒野に挑むユダヤ民族との交流を通して、祖国日本を洞察。 伊勢の父と呼ばれた伊勢修養団の故・中山靖雄先生にも長年師事したことから、その遺志を引き継ぎ伊勢神宮での「やまとこころの祭り」を開催している。
ヤマト人の歴史を取り戻すべく「やまとこころのキャンドルサービス」の講演会を全国各地で開催。 ユダヤ人の人生の成功のエッセンスである「聖書」に学び、現地を旅し、足の裏で読み解き、人類の知恵の書として伝える「人生が変わる聖書塾」を全国で開催。 2019年、令和元年現在、還暦を迎えて、父が起こした赤塚建設を引き継ぎ30年間、愛される経営を続けた社長業を引退し会長に。
 これまで10年以上、累計約10万人、著作10作で伝えてきたライフワークの「人生が変わる聖書漫談師」の講師、作家として活躍している。
 主な著作として「聖なる約束シリーズ」「日本よ永遠なれ」(きれい・ねっと刊)がある。profile.ameba.jp

赤塚先生の講演会は3回聴いたけれども毎回必ず涙聴して心がじーんと揺さぶられます

ヒイロ自身が日本について多くを語れるかと言うとまだそうではないし知識として知っている。知ったと言うレベルで自分の言葉で伝えて行くにはまだまだ程遠いですが、それでもヒイロは知ったので少しでも多くの方に知るきっかけになればと思います

 

日本について

 さてさてみなさんは日本ってどうやって建国されたか知っていますか?

いつ建国されたかな?初代天皇は誰?なのかとか

ゲームとかで神話の話とか知っている人とかなら少しは話を知っているかな?因幡の白兎も後の方で少し関係していたりとか

僕が大好きでゲームクリアの時感動して初めて涙を流した「大神」と言う犬っころが出てくるゲームも関係があったりしてます

※「大神」のエンディングの平原綾香さんのResetを聴きながら泣いていたのは果たしていつの頃だったか?めちゃくちゃ好きな歌です

まずまずみなさんが小さい時に学校では教えられていない事柄です。

 

実際に日本以外の国では建国の歴史についてちゃんと学んでいるため、どこの国に行ってもその国の人たちはいつ国ができて、誰が国を作ったのか知っているみたいです

日本ではどうして学校と呼ばれる場所で教えられていないのかと言うと

そもそも教える側の人たちも知らないみたいです!

それってどうしてだと思いますか?

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それは日本が戦争に負けたからです

第2次世界大戦

これは歴史の勉強の時に聞いた言葉だと思います

原爆を日本に2回落とされました

日本はだいぶ強かったみたいです!だから奪われました!脅威と感じだから

今の時代戦争を経験している世代がだんだんといなくなっており、直接話を聞く機会も失われてきており、戦争という言葉を聞いても他人事のようにヒイロは思っていたし、過去のことと思っています。

今これから日本が憲法とか関係なく日本が戦争となった時なんの実感もなくただその現場に対して不満を述べるだけになりそうです。仮に、世界ではなく宇宙からの勢力が現れたとしても同じだと思います。どこか他人事として

宇宙ではなくても地球が僕たちに牙を剝いた時にも同じような気がします

ちょっと話が飛躍しましたが、自分たちは今いる現状に対してしっかりと認識しその現状に感謝しているのかな?とふと疑問に思うとともに当たり前になっているなと想います。

どうしてそう思うか?は

愛国心という言葉に対してどこかヒイロは他人行儀な印象があるからです

 

その当時の日本は、日本人は自分たちの国がいつできて、誰が作ったとか国民がちゃんと知っていたみたいです。ちゃんと教育で習っていました

戦争に負けたことでGHQから日本人としての誇りと歴史を奪われ、そして現在その結果として知らないことが当たり前となってしまっています

日本人は知らないけれど、アメリカの教科書ではちゃんと日本の建国についてかかれています。 

 

「日本の建国について」

アメリカの教科書では次のように書かれているみたいです

イザナギという権威ある神が、その妻イザナミと共に「天の浮橋」に立った。イザナギは、眼下に横たわる海面を見下ろした。やがて彼は暗い海の中に、宝石を散りばめた槍をおろした。その槍を引き戻すと、槍の先から汐のしずくが落ちた。しずくが落ちると、次々に固まって、島となった。このようにして日本誕生の伝説がうまれた。

また、この伝説によると、イザナギは多くの神々を生んだ。その中の1人に太陽の女神があった。(天照大神/アマテラスオオミカミ)女神は孫のニニギノミコトを地上に降り立たせ、新しい国土を統治することを命じた。ニニギノミコトは大きな勾玉と、神聖な剣と青銅の鏡の3つを持って、九州に来た。これらはすべて、彼の祖母から贈られたものであった。これら3つの品は、今日もなお、天皇の地位の象徴となっている。ニニギノミコトにはジンムという曾孫があって、この曾孫が日本の初代の統治者となった。それは、キリスト紀元前660年の2月11日のことであった。何百年もの間、日本人はこの神話を語り継いできた。この神話は、日本人もその統治者も、国土も、神々の御心により作られたということの証明に使われた。現在のヒロヒト天皇昭和天皇)は、ジンム天皇の直系で、124代に当たると言われている。かくして日本の王朝は、世界で最も古い王朝ということになる。

以上のことが書かれています。僕たちは習ってきていないこと、ゲームとかの設定で名前は聞いたことがあるかな?ぐらいのレベルではないかなとヒイロは思います。

3種の神器と呼ばれるのもであったり、初代天皇神武天皇であり現在は126代目の天皇なんだなとか、世界で最も古い歴史を持つんだなというのがこの文からだけでもわかるのではないかなと思います。僕たちは知らないことが多いから少しでも知っていくことから始めていかないといけないなと思います。

 

 

「八紘一宇」について

日本の建国の理念である「八紘一宇」(はっこういちう)とは日本の作られた時に神武天皇が掲げたこれからこの国はこのようにしていきますということ

意味としては「すべての人々が、1つ屋根の下の家族である」という理念です

すべての人々が家族ということは争いもなく平和でこの世を満たしていくということを建国の時に掲げている。聞いた話だと他の国はそういうみんなで和気あいあいという感じではないみたいなのですよ〜

ちょっと調べてみたら面白そうですね

 

 2020年3月の現状について

改めて自分の書いていることを読み直しながら書いていると

今の世界の状況ということについても書いておこうかなと想う

2020年2月頃からかな中国の武漢でコロナウィルスの新型が確認され、世界中に広がりパンデミックとなっている現状があること、世界での動きとして2分類されている

一つは総体的な検査数を上げて現状の情報を確認すること

もう一つは 情報を制限して隔離することかな?これは症状がでた後に疑わしき人を検査する形

毎日メディアではコロナの話題で持ちきりみたいだ

検査をした結果その分だけ感染者がいれば人数が増えるのは当たり前であるのにそのことについて過激とも言えるぐらい不安を煽るような内容が多いように見受けられる。

ある国ではコロナが原因で死者が1000人超えたとか

報道されることで目が行くことももちろんあるだろうが、大勢の人は毎年インフルエンザウイルスでどのくらいの人が亡くなっているのか知っているのであろうか?とか、報道されていないインフルエンザウイルスによる死者が例年の確か1/2であるとか知っているのかな?とも思う

そして、日本の自殺数(遺書が見つかった人のみのカウント)については報道されていないけれどどうなんでしょうね?とか、不審死にカテゴライズされた人の人数とかも

こういうことを知ると

僕たちの周りには意外と近くに「死」というものがあること

僕は改めて考える

「死」とは平等に誰しもに現段階の人類・動物・植物生物にとって超えることのできない現象であり壁である。いつ訪れるかは誰も保証してくれない。

明日がくるとも実は保証してくれないのである

当たり前に明日がくると多くの人が思い込んでいるのではないだろうか?

そんなことを考えていると、コロナウィルスによる自粛を言われて、不必要な外出は控えてくださいと他者から言われるが

何を持って不必要と考えるのであろうか?

自分の物語において一瞬足りとも不必要なものが果たしてあるのだろうか?と

 

だいぶ書きたいことからずれたので話を戻すとしよう

 

 

伊勢の神宮の正式参拝について

2019年 11月29日伊勢神宮に訪れるために

伊丹空港に降り立ちました

行く先はまず京都なのですが

その前に伊丹にあるブックランドフレンズに寄りました

  

www.honyakamo.com

 

ブックランドフレンズさんは喜多川泰先生の「福に憑かれた男」 のモデルとなった本屋さんでヒイロが自分自身の成長を望むきっかけになった本だったからこそ、行ってみたいとずっと想っていた場所の1つでした。行けることになり本当によい機会をいただきました

本屋さんで1時間以上はいたのかな?カメラ用の45Lぐらいはあるカバンとスーツを入れる衣装ケースを片手に〜めっちゃ目立っていました。そこには素敵な本とのたくさんの出逢いがあるので興味を持った方いたらぜひ一度足を運んでくださいな〜

その後、京都で赤塚先生のライブがあるので京都に足を運んだわけなんですが、ライブには1時間ほど遅れて参加しました。

なかなか生のバンドで聴ける機会がない中での参加は貴重な体験でした

11月30日朝早起きしたのでせっかくだから京都を観光しようと思ってましたが、伊勢神宮のある三重県伊勢市に15時にはついていないといけなく

ヒイロは基本旅は下調べはしないでその場の状況で動く人。一応朝その場で三重行きの汽車を探してみるとなんと朝の9時代の汽車に乗らないと次の1本だと15時をオーバーしてしまうことがわかりナイス判断とか思いながら汽車に乗りそして、朝早起きしたためと読書をしていたことで降りるはずであった駅を寝過ごすといういい経験をしました〜

ちゃんと車掌さんが起こしてくれるんですね〜

車掌さんにどうしたらいいか聴いて30分後ぐらいのに切符を買って改めて乗り直すといいよと教えてもらいましたが、せっかくなので現在地がどこか今は便利な携帯を利用しみてみると行くのが難しいかなと思っていた二見興玉神社が近いことがわかりました。しかも近くに行くための手段があったのですごくラッキーでした^^

乗り過ごしたおかげで、行くのが難しいかなと思ってい二見興玉神社に正式参拝前に行くことができ、その後伊勢の外宮も回ることができて

本当に

全てはあるがままに起こった出来事を楽しむことができました

その日の夜はホテルの会場を借りて全国からきた人たちと赤塚先生の話を聞いてご飯を食べて懇親会も行って楽しいひと時を過ごさせてもらいました

そして12月1日

朝6時ホテル玄関前に集合

正装して100名の志を共にした人たちと内宮に向けて出発

内宮についたら、鳥居から日の出を見るためにすでに多くの方が来ておりその中で

30分ぐらい待ったのかな?外は意外と寒かったのを覚えているので、2020年もまた伊勢に行くことを決めているのでもう少し暖かい格好をしていこうとここに記しておくとしよう

太陽が出て来てからは少し気温が上がって来て来たけれどそれは参拝が終わるとき

2列になり黙々としゃべらず歩き

いよいよ本殿の御垣内参拝

掛け声はなく

100人が示し合わせたようにタイミングを整え

「日本よ永遠なれ」と想い

2礼2拍手1礼

ひんやりとした空気と静寂

そして少しでも

自分たちの国のことについて

知って行くことが大切と

胸に秘め

正式参拝は終わりました

そしたまた来年もこようと

 

12月5日の札幌で赤塚先生の特別講演のこと

 縁があって正式参拝を終えた4日後に北海道札幌で

赤塚高仁先生の特別講演会がありました

ご縁紡ぎ大学で同じグループだったかよさんが、講義で赤塚先生の話を聴いて自分も何かできないとかと行動に起こそうと決めて開くことになった講演会

その講演会で司会をやってもらえないかとお話がありました

「今まで経験したことがないからと司会を断ることは簡単ですが、経験したことのないことに挑戦することが大事だと思うので喜んで!」と連絡をとり

加代さんがどういう想いで講演会をするに至ったかということをお話を聞く機会を作っていただき「色々な人に知ってもらいたいという想い」が強いことが伝わって来ました

正式参拝の前の日に赤塚先生に12月5日の講演会で司会をさせていただくことになったことを話、どういう形でしたらいいか訪ねた時に赤塚先生からは好きなようにやったらいいよと言われました。

 どういう風に司会をして行くか自分なりに考え、会場の中で聴きに来てくれる人も、そして話をしてくれる赤塚先生にも気持ちよく話してもらえるにはどうしたらいいかな?と考え前日に話す内容について文字を起こして

当日を迎えました

ワクワクしすぎて前日ちゃんと寝付けないパターンですね

司会の方は用意していたいう内容の順番を飛ばしたり(講演をしてくれる赤塚先生の紹介を飛ばして気付いていれたりとか)、言おうと思っていたことを飛ばしたとしたけれどもそういうのも含めていい経験になったしいい緊張感を持てて、気づきもあった

赤塚先生は故糸川英夫氏のこと、パラオペリリュー島のことについて、日本について話をしてくれそして話を聞いてまた泣いていた

何度聴いても感情移入され、胸が熱くなり

そしてもっと多くの人に聞いてもらいたいと

伝えていきたいと想い

自分ももっと知ることから始めていこうと

心に火が灯る

灯った火を

ヒイロなりに

伝えていきたい

 

 最後に

書く期間をあけすぎると自分がその時にどういう風に書きたかったかがわからなくなると書いていて想い、学びを書きながらありし出来事の事実を書いているのもあり、自分なりの解釈で書いているからこそ

今回のお話は未来の自分に宛てての反面も出たんだなぁと思う

 

鉄は熱いうちに打てということわざがあるが

想いも同じだなと

忙しさを理由に伝えたいことをそのままにするのは違うなと

長さにこだわらなくてもいいから、本当に毎日の素敵な学びを少しずつでもいいから書いていこうと想う今日この頃でした

最後まで読んでくれた方がいたら

本当にありがとう