『世界が終わるその前に』

人生1度きりだからこそ、自分の思うままに自分のやりたいことをやる。そのための物語の足跡。後悔をしたくはないけれど、後悔は人を成長させてくれるものだから。後悔をするにしても後悔した経験を伝える、後悔を一緒に乗り越えれるそんな人に僕はなりたいから足跡を残す

決めたこと


ちゃお

ヒイロです

 

久しぶりに描きたいなって想って

(見返せるものがあると自分の現在位置を確認できるから)

今「賢者の書」という喜多川泰さんの本を改めてまとめたいなって想って

読み返しているところです。

 

まとめたいなって想ったのは

2018年にも記事を途中まで書いていてそのままだったのと、この前参加した友人の本のアウトプットがとっても良くてパワポも素敵だったので

ぼくもやりたい!!!となっているからなんだ。

気になったページから読み直しをしていて以前読んでいた時との

ボク自身にの入り方が違うことにもびっくり

 

そして備忘録的に残すのなら自分のためだから

「もし」誰かに読んでもらった時のためにとか

見やすくしなきゃ、文をまとめなきゃとかの

「しなきゃ」っていうのいらないなっとも想っているから

そのことが描くためのハードルを上げてきて段々と「めんどくさい」に繋がってきていたから

ヒイロがやりたいようにやる

ちゃんと描きたくなったら描く

そんな感じでいいやんっていうことで〜

 

 

賢者の書

最後の賢者の教え②

「与える」について

 

ボク自身がやりたいなって想っていることを

それこそ忙しいからとか、疲れたからとかの理由で遠ざけていたなって

 

2024年3月25日にご縁があって人生2度目の淡路島に行ってきたんだ。

淡路島にはイスラエルに一緒に行ったメンバーとの同窓会

淡路島は日本の伝承の中で国産みの地と言われている場所で何かが起こる予感はしていたんだ。

ついて伊射奈岐神社に行ったあとホテルで久しぶりに温泉に入って、お酒を飲んで寝た時に

久しぶりに「夢」を見たんだ。

夢の中で「夢」と気づいた瞬間に目が覚めて涙がたくさんこぼれ落ちていたんだ。

夢の内容を忘れないうちに

メモした。

 

 

夢の内容

ひさぶりに夢を見た

 

4:19

 

めっちゃ泣いていた

本当に久しぶりに夢を見た

夢の内容を覚えているうちにここに残す

 

今僕は淡路島に来ている

この国産みの地の淡路島だ

 

人に囲まれている情景

真ん中には何故か懐かしい

昭和のブラウン管のテレビがある

 

テレビに流れていたのは

今までの僕の軌跡

何故か上からその情景を見下ろしている

 

今まで僕が縁を紡いでいた人たちがそこにいるのだ

そして

その情景の中で僕に対して声をかけてくれているだ

 

生まれた

生命のいぶき

小指の大きさってこんなに小さいんだよとか

 

僕は

見下ろしているのだ

 

親しくしている

多くの

人に囲まれている

僕にはすごく

そのことが印象的で

ああこれが人としての自分の最後の時

なんだなって

これは夢なんだなって確信して想った瞬間に

目が覚めた

 

今ピカって雷が光って

ドーンと

なっているこの瞬間にこの記憶の記録を残している

本当にこの国産みの地での

出来事

 

僕は今まで人に

 

親にも

僕は50歳で自分の人生を

終えるんだって言ってきている

 

そんなに長く生きたい訳でもない

もし50歳を過ぎて生きているなら

それは儲けものぐらいの気持ちでいるからだ

 

昔の日本人の平均寿命は50歳

今では倍近くになっているけれどね

 

僕は

ボクが死んだ時にどういう情景かというワークを

したことがある

どういう人たちに囲まれて

どういう風になっていたいかを

そこに向けて今の自分が何をできるかを

行動するために。

このワークをしてから多分5〜6年は経っている

 

その時はなんとなく想像して思い浮かべていたイメージの情景

今は夢で見た

映像がボクの中にはある。

 

そして

「つなぐ」ということが

どういうことなのか

ボク自身が

「残すもの」

「残したいと想っているもの」

そのヒントを貰えた気がするんだ

 

そしてここ何ヶ月の伏線を日曜日から色々と回収をしていて

内容が「繋がって」いるのだ。

 

だからこそ

ワクワクする自分がいて

 

夢の内容を忘れてしまわないうちにここに残す。

 

 

そして今賢者の書を読み直ししている中で

ヒイロの中でのキーワード「きっかけ」「ビジョン」という言葉が改めて引っかかった

ずっーーーと

「きっかけ」ということを大事にしてきて、今もボクの中で続いているもの

「ビジョン」自分自身がどうなりたいかというイメージがあったけれど、今回の淡路島の夢の経験で空想だったものが映像として実際に目に見える形に頭の奥に焼き付いている。

 

 

「与える」ということ

人生の中で欲しいのを手に入れるためには、手に入れるものを与える側にならなければいけない。

この言葉を見た時にその通りだなって昔のヒイロよりもスーッと中に入ってきた。

それは今まで自分がやってきていたとも繋がってきていたから。

例えば

「一冊の本との出会いで人生は変わる」

本との出会いで実際に変わろうと決めて変わるために足掻いて足掻いて足掻いてきた

きっかけを貰えたから、自分の手の届く範囲の人にもきっかけとなって欲しいの、宣言したことをその場限りにはしたくなかったから。

大人の図書館活動という、ボクが何かを感じていいなって想ったタイミングや人に本をプレゼントしてきた。

例えば

「逢いたいと想った人に会いに行く」

自分から逢いたいと想った人に会いに行く機会をとるようになった。そうすることで旅行から旅に。人に会いに行く旅へと変わっていった。そうすることで日本はどんどん狭くなった。ありがたいことに多くの人からヒイロはいつでも動いているよねとか

フットワーク軽いよねって言われるようになっていた。

例えば

「縁を紡いでいくこと、一生の友達を見つけること」

一期一会という出会いの中で、どれだけ自分が一生の友達を作りたいと想い何を行動していくか。その時の自分自身が何をできるかを考え行動すること

人って意外と自分の名前をプレゼントしてもらう機会というものが少ない。

ぼくは旅の想い出に残せるもの、渡せるものがあったらいいなという想いから筆文字を旅先で描くようになった。その中で人に名前をプレゼントするがとっても喜ばれた。そしてそこから一期一会からまた次へと続くきっかけになっている。

 

だからこそ

改めて「与える」ことで自分が人生の中で欲しいものを手に入れるために

ヒイロが今まで学んできたこと、知っていることを

知っているだけの状況で終わらせてしまうのではなく、もっと出していくことを決めた。

大切にしたい人と大切な人を増やしたいから、そして最後の瞬間に囲まれていたいから。

ヒイロのビジョンのために行動していく。ワクワクと。